009.
門井隆盛
(M.I.T.)
2006.07.03.
世界の浴槽から 〜It's おふろフューチャリズム〜

第一回:アフロ・フューチャリズム、おふろフューチャリズム。

お風呂の中から、こんにちは。今日からはじまる、このコラムでは「おふろフューチャリズム」に関するお話をさせていただきます。とはいえ、「おふろフューチャリズム」って何だよ?ていうか、わけわかんないし、キョ−ミない!と、今ここまでこのコラムを読んでくれている全員が思ってることでしょう。まずは「おふろフューチャリズム」の説明をすることからこのコラムをスタートさせることにしましょう。

まず、アフロ・フューチャリズムを、みなさんはご存知でしょうか?

アフロ・フューチャリズムとは、直訳すると「黒人のSF志向」でしょうか。たとえば、「MOTHERSHIP CONNECTION」を標榜していたファンカデリックであるとか、「私は土星から来た」と発言していたサン・ラなどが例として挙げられます。あとは、リー・スクラッチ・ペリーも重要人物です。さらには、アフリカ・バンバータやジェフ・ミルズも、「自分は宇宙から来た」と言ってますね。これらの発言は決して酔狂ではありません。このように、黒人文化のエポック・メイキングとなる作品を発表したアーティストたちは、いずれも「アフロ・フューチャリズム」と関係があるのです。

黒人のSF志向には、ある一つの特徴があります。それは、「宇宙人に誘拐された」とか、「宇宙人によって、故郷を離れ、今住んでいるところにいる」というような考え方を持っているということ。つまり、祖先がアフリカから奴隷として連れてこられ、ルーツを失われた民となった黒人の歴史や生活そのもののメタファーとしてサイエンス・フィクションを用いているということです。

現在だと、デトロイト・テクノがアフロ・フューチャリズムを反映させた音楽としてあげられると思います。昨年、ジェフ・ミルズが宇宙人との遭遇をテーマにしたアルバム「Contact Special」を発表しましたが、これはまさにアフロ・フューチャリズム的作品であるといえると思います。この作品にはショート・ストーリーが添えられていて、その中に地球人と宇宙人が遭遇するシーンがあるのですが、まったく未知の生命体に出会った地球人の最初のリアクションが、その生命体を蹴飛ばすことでした。これについて、ジェフ・ミルズは「未知の存在に出会ったとき、最初に感じる感情は『恐怖』である。暴力は恐怖によって生み出される。これは人種差別の原因と同じことだ」と発言していたのがとても印象に残りました。さらに、ジェフ・ミルズは「サイエンス・フィクションは『もし・・・だったら』というシナリオではじまるものだ。それは、もっともイマジネーションをかきたてられる命題だ。そのような想像に思いをめぐらせることで、僕たちは現実からエスケープしていたんだ」と。

ちなみに、アフロ・フューチャリズムについて貴重な資料が、2006年には発表されています。まずはDVD「Mothership Connection」(ナウオンメディア)。これにはジョージ・クリントン、リー・ペリー、サン・ラは、もちろん。デリック・メイ、ホアン・アトキンス、そしてマイク・バンクスまで登場します。先日、デリック・メイと食事をした際に、この映画の話をしたらとても嬉しそうに「この映画がDVD化されたことを嬉しく思う。もう10年も前の作品なのに。」と言ってました。事実、この作品の中のデリックは、すごく若いです。

閑話休題。

とはいえ、単一民族国家に生まれ育った私たち日本人にとってアフロ・フューチャリズムを理解することは不可能に近いというしかありません。私は、10年間アメリカでマイノリティ(=黄色人種) として生活していたので、人種差別的な扱いを受けたこともあります。(もちろん、黒人が受けたそれとは比較になりません) でも、私の祖先は奴隷にされたことがありません。だから、私は黒人文化に、つまりマイノリティ文化に (それが白人であっても、マイノリティは存在するのです) 共感する部分をたくさん感じていましたが、「黒人の物真似」をすることに抵抗を感じ続けています。私たち日本人には、私たち日本人ならではの感覚や美意識が存在している。そして、それを大切にしたいと思うようになったのです。これは、海外に飛び出して、遠くの国から客観的に祖国を見つめることによって生まれた感情なのかもしれません。でも、きっとみなさんも同じように考えているはずです。日本のクラブ文化は輸入文化?そんなことを言わせないようにするためにも、我々独自の文化を確立すべきなのです。

2000年に、私は日本に帰ってきました。最初に気づいたのは、この国の住みやすさです。日本人が日本人として生活していくうえで、もっとも便利な国。それは、日本以外にはありえません。言葉にも、食事にも、まったく困ることがありません。ルーツのある民族であること、それはこのような利便性を享受できることにあると思います。

とはいえ、この国が問題の存在しないユートピアであるかといえば、そんなわけはありません。いじめ、少年犯罪、援助交際・・・・僕たちがティーンエイジャーだった時代には、僕たちはこのような社会問題に直面してきました。私たちはバブル世代の人々とは違って、不景気の最中に社会の歪みを直視しながら成長した世代なのです。(さらにディープな個人の問題だって、きっと沢山あるでしょう)そして、それぞれがマンガやゲーム、音楽や映画などにエスケープを求めてきたはずだと思います。その中で、私が究極のエスケープを得られるものがあります。それが、お風呂。デトロイト・テクノのアーティストたちが宇宙に浮遊している感覚をもった音楽を作り、その世界に浸ることで現実から逃避するのと同じように、私はハードな日常の疲れを風呂に入って癒す。さらに、当然のことながら全裸でお風呂に入ります。恋人がいれば、一緒に入ったりもします。アラーキーの写真集なんかでも、日本風呂の中にたたずむ女性がよく登場したりしますね。お風呂とは、なんとエロティックで快楽主義的な行為なんでしょうか。つまりお風呂とは、ハードな現実から逃れるための全てが備えられている快楽発生装置なのである・・・というわけで、ここに私は声高に「おふろフューチャリズム」をジャパニーズ・クラバーたちに提唱していこうと思った次第であります。すいません、くだらなくて。

余談ではありますが、先日この話を友人にしたら「お風呂」は「フューチャー」じゃないじゃんと、言われました。確かにそうです。でも、それでは語呂があわないのです。それは、非常に困ります。

いささか、強引な論法ではありますが。とにかく、これは21世紀のジャパニーズ・クラバーのライフスタイルにお風呂を!という非常にくだらないコラムなんでございます。それでは今後もお付き合いくださいますよう、よろしくお願いいたします。